芸術家・岡本太郎を支えた妻であり・養女の岡本敏子さんの言葉を紹介したい。
まさにこの人は男性を輝かせるあげまん女性だと思いますね。
まずは、以下の動画から岡本敏子さんの雰囲気・愛を感じてみて。
岡本敏子さんのプロフィール
岡本敏子は1926年(大正15年)1月1日、千葉県に生まれる。東京女子大学文理学部卒業後、出版社勤務を経て、岡本太郎主催「夜の会」で太郎と親しくなり秘書となった。事実上の妻であり、のちに太郎の養女となる。太郎が死去した際に未完成の作品の監修として携わり、すべて完成させた。
やばくない?
こういう女性ばっかりだったら日本は本当に素晴らしい国になるなって思うんだよね。
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目次
岡本敏子さんは、なぜ養女だったのか
大阪万博の際に制作した「太陽の塔」が有名な岡本太郎さん。
他にも「芸術は爆発だ!」という名言も残していることで有名だよね。
日本芸術界の発展に多大な貢献をした太郎さんを支え続けたのが岡本敏子さんだった。
生涯のパートナーであり妻と言える存在ですが、実際は妻ではなく養女だった。
つまり戸籍上は娘となっている。
この二人が出会ったのは岡本太郎さんが主催した「夜の会」。
この会で親しくなった事から岡本敏子さんは太郎さんの秘書を務める事になり、
そして私生活でもパートナーとなり実質的には妻のような存在となった。
なぜ敏子さんが妻ではなく養女となったのか。
それは以下の理由だと言われている。
①岡本太郎さんが結婚という形を好まなかったこと
岡本太郎さんの両親の関係が良くなかったことから、
岡本太郎さんは結婚という形を好まなかったと言われている。
②遺産相続の問題
2つ目は遺産相続の問題だ。岡本敏子さんが妻になってしまうと、全ての遺産を相続する事は出来なかった。
もし妻になってしまったら遺産の一部は別の親族の手に渡ってしまうことになっていた。
しかし、養子であれば全ての遺産を相続する事が可能。
そのため妻ではなく養女にしたと言われている。
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あげまん女性「岡本敏子」の名言
岡本敏子さんが残した数々のあげまん女性としての言葉を紹介するね。
岡本敏子さんのエネルギーを受け取ろう!
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