【中編】田島硝子インタビュー「時代の変化に対応するためにあえて請負仕事を残していく」

田島硝子インタビュー
1956(昭和31年)年、創業者・田嶌松太郎氏によって設立した「田島硝子」。以来半世紀以上、お客様からのモノづくりの要請に応え、様々な硝子食器製造技術を開発・採用し「江戸硝子」の名門となった。今回AKIRA DRIVEでも扱っている「富士山グラス」シリーズ。田島硝子の60年のデータベースと職人の技術の結晶の富士山グラスは、日本を超えて海外でも爆発的に売れている。田島硝子の歴史を紐解き、その大ヒットの秘密に迫った。
【前編】「時代の変化に地道に対応した60年!」はこちら
【後編】「海外でシェアされて国内でヒットした富士山グラス」はこちら

あきら 田島硝子さんは時代の変化に柔軟に対応してきて60年続いてきました。今は自社商品なども売れてきて、今後は自社商品を増やしていくという方向が目指していくところなのでしょうか?

田島硝子・田嶌大輔さん

田嶌 いえ、変わらず下請けやOEMなどの受注生産を今後も続けていきます。うちからすると自社商品は、売れれば通常の下請けでやる仕事よりも、自分たちで値段も含めて考えることだから商売としては売れれば利幅も取れるし、おいしい仕事かもしれません。しかし結局、売れない品物を自社でどんどん作った時に、会社が回らなくなります。在庫ばかりが増えて売れないものを作り続けるというのは、結局会社を安定的に回すうえでは、すごく難しく、一か八かというような選択肢になってしまいます。

あきら なるほど。

田嶌 うちの場合はマーケティングやそういう所も自社独自では中々お金掛けてまでやれるような形にはなっていないので、時代時代に合った下請けの仕事をこれからもやり続けていきます。それによって物作りを今の時代に合った皆さんや、法人企業のいろいろなお客さまがうちに作って欲しい物を作ることによって、今の時代はこういうものが流行っているとか、ああいうものが面白いと思ったとか、そういうものが逆にお金を頂きながら味あわせてもらえるのです。それはとても大事なことだと思います。

中村あきら×田島硝子代表田嶌大輔

あきら 下請けや受注生産が時代の流れを読む大事なマーケティング機能になると。

田嶌 はい。これからも若干の部分はもちろん、自社商品も作り続けていくのですが、自社商品作りにもすごく参考になるのです。まず、下請けやOEMの仕事を主に重きを置いて、その余力の部分で、その時代時代に合った物作りをすることが継続させるための1番安定的な判断なのかなと思っています。

あきら やはり激動の時代を生き抜いただけあって、ビジネスが上手だなというのはすごく感じます。あえて下請けを受けることで、マーケティングとして良さを保っていくのですね。自社商品を増やしていくと、時代がどうなっているかが分からなくなって、絶えていってしまう可能性があると。ずっと続けるために、あえて下請けをするというのは、大変面白い考え方だなと思いました。

田島硝子3代目田嶌大輔

田嶌 中でずっと仕事をしていると、自社のことはもちろん1番分かっているのです。でも、うちのことはすごく分かっているのですが、それが外でどのように評価をされるのか。外でどのようなものを求められているかということは極端な話、分かっているようで分かっていません。だから自己満足の商品作っていると、こんなにいいものを作ったのに、なぜ世の中の人は分かってくれないのだということに陥る可能性もあります。それは、経営者として間違いで、傷口になるし、何度も突き進んで自社商品でやっていくと、どんどん深みにはまっていきます。

あきら うーん、深いですね。

中村あきらインタビュー

田嶌 うちは先程も言いましたが60年でかなり経ちます。古い会社ですねとおっしゃっていただいたのですが、創業以来継続してきたということが、ひとつのこんな会社だけれども、伝統技術のほうで言えば、社会貢献になっているのです。それを1日でも長く続けることが1番大事です。物作りのいろいろなアイデアを貰い続けるというということがすごく大事なことで、それによって面白い物を作れる可能性がOEMの仕事をやることで、随分と高まります。

あきら 先程、工場見学の際にお話を聞いた時に印象的だったのが、請負をしていくことで、「技術」を残していくことが大事だと話されていました。やはり商品よりも「技術」を残していくことを大切にしているということなのですか?

田嶌 現状では、ワイングラスのように引け脚や付き脚など脚と台を付ける技法、キセ硝子、二重構造のガラスを作れる技術、また、ヒビ入り、ヒビ入れの貫入硝子を作れる技術など、いろいろな技術があります。たくさんあればあるほど、お客様がいろいろ物を作りたくなるので、それをお客さまにアピールすることによって、いろいろな技術で物を作りたいという問い合わせが増えるのです。そうすることで、仕事が来るという事は、いろいろな仕事を、実体験で職人さん達の若い世代も体験できるのです。体験をさせないと、10年前はやっていたけれど、久し振りにこういう仕事が来たので、いざやってみようとすると、段取りから何から忘れていたりします。かなりの年配の職人さんが最後で、あれはどうだったのかなというところから、また戻すのは相当時間もかかるし、もしかすると出来なくなっている可能性もあります。

今、現行でできる技術というのは、もっと自分自身で整理して、それを分かりやすくお客さまに伝えられることによって、いろいろ仕事をいただくことができます。そうすれば10年先も20年先も同じ技術で同じ品物が作り続けられるのではないのかという発想で、商売継続させられるのではないかと思います。

中村あきら×田島硝子・田嶌大輔

あきら 面白いですね。ビジネスのマーケティングの関係もそうですし、だからこそ60年続いてきたというのもありますし、これからもどんどん続いていく理由にもなったりするなと思います。今、ウェブ業界や、そういう新しい業界の人たちにも参考になる話だなとすごく感じました。

田嶌 僕と中村社長と年の差は多少あるかもしれないけれど、結局一時期のヒルズ族ではありませんが、ネット関係からすると、あれが一時代を作ったというのは、結局、新しいコンテンツなどを作って最終的には上場して振り抜けてしまいます。自分の株も最終的にいい時期に売って、自分は悠々自適になるか、新しいビジネスを作ったりします。結局、短期決戦なのです。ネット関係の会社は、新しいコンテンツは頭のいい人がどんどん作って、どんどん生まれていくと思いますが、うちの会社は潰れたらまた同じ会社をやろうというところは生まれません。そうすると、日々日々、または、その時その時に儲かる儲からないは、もちろん商売には大事ですが、それに重きを置いてるのではなくて、安定的に次の世代に残せることが目標になります。

田島硝子3代目田嶌大輔

あきら 自分たちが潰れたら、その業界自体が終わっていくという責任もあるわけですね。

田嶌 例えば、今の商売的に言えば、富士山のグラスが売れています。例年よりもインバウンドも含めて、いろいろなお客さまの評価をいただいて、商売としてはいいかもしれませんが、一過性のものでもあるので、逆に怖さもあります。次はどういうものを作るかです。いい商売の時であればあるほど、忙しいかもしれませんが、次の商売を考えていかないといけません。
僕で今40ですが、もうすでに20代の子は、食器などは全く興味が無いです。その子たちに興味を持たせることを考えていかないといけないのです。うちでも若い職人は、休み時間に何をしているかと言うと、ずっと携帯を見ています。一般の人と一緒です。
ホームページも今年の最初にリニューアルしましたが、やはりそうやってネットで買える分かりやすい伝統工芸の手作りガラスというものを、若年層にアピールしていかないと勝ち残っていけないなと思います。

中村あきら×田島硝子・田嶌大輔

あきら 次の20代の子たちにヒットする食器がどんなものなのか、想像するとワクワクしますね。

後編へつづく

次回は、「海外でシェアされて国内でヒットした富士山グラス」をお届けします。

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