【第2回】夢は家族づくり Murabito株式会社清水明夫

ムラビト株式会社

中村あきらです。
僕のまわりには面白い人がいっぱいいます。インタビューをしていきたいと思います

※これはぼくが23歳ドリームワークカレッジ をしていたときにインタビューしたものです。

学生時代、社会人、様々なことを経験してきて、いきついた夢。
——–『家族づくり』。

そんな誰もが思う夢をなぜ事業にしようと思ったのか?
必見ですよー!

murabito株式会社 シェアハウス『マナビヤ』(http://www.murabito.co.jp/
代表取締役 清水明夫

ムラビト株式会社

「どうしたい?」

—–辞める時はどんな心境でしたか?

申し訳ない気持ちがまずありましたね。
「おまえは約束を破るのか」とか「逃げるのか」とか
社長とそういったコミュニケーションを続けていて、
「確かにそうだ」って思う反面、やりたいことをやりたいって思う気持ち両方を持っていました。

その時、惣士郎さんから電話をくれて。
悩んでいたのですごく完璧なタイミングでした。

「『どうしたらいいよ』っていうアドバイスは、
その人だったらどうしたいかを言っているだけで、
『どうしたい?』って聞いてくれるのが本当に愛のあるコミュニケーションなんじゃない?
あっきーが、アドバイスをくれる社長さんの言うこともわかるし、
ちゃんと考えているからこそ、
僕はあえて対極のことをあっきーに聞くよ。あっきーはどうしたい?」

その言葉を聞きながら、電話越しにボロボロ泣いてました。
「あぁそうか」って思ったんです。
僕は社長さんが僕の為を想って言ってくれているんだから
ぼくはこれを受け入れなければいけないんだって思っていたんです。
その気持ちのために、
辞めたいのに辞められない状態が続いていたんだってわかって。

シェアハウスの画像

それ以降は「僕はこうこうこうで、こうやりたいんです!」って言ってわかってもらおうとするのは、
ゴールが無いなぁって思うようになったんです。
ひたすら「ありがとう」と「ごめんなさい」と「辞めさせてください」を繰り返して、
「おまえとは縁を切りたい」とまで言われたんですが、
最後の最後はせなかを押してもらったかんじでしたね。

シャアハウスの風景

愛・豊かさ・幸せ・・・そういった類のものを伝えたい。

—–学校づくりから、今の「家族づくり」へと変化したのはなぜ?

今思うと、学校が作りたい!っていうのは
要するにコミュニティが作りたいって事だったんだなと思います。
そのころはずっと「ドリカレみたいな学校を作りたい!」って
言っていました。
ドリカレが、僕が今までいたことがないような
暖かさのあるコミュニティだったから。
そこで感じた物をもっと外へ広めたい、
そんなコミュニティによってその人が本当に生きたい人生を
生きられるようになるんじゃないかって思ったんです。

やりたいことを始めようと思ったときに浮かんだのは、
やっぱりずっと思っていたコミュニティ作りでした。
コミュニティ。

しかもドリカレで感じたような、
暖かな家族的なつながりがあるコミュニティを作ることを仕事にするって決めたんです。
そこで愛・豊かさ・幸せ・・・そういった類のものを伝えたい。
自分は自信を持って伝えたいことを伝えられる時が来たっていう感覚ができたんです。
時は来た!って感じでした。

第3回につづく



parcy'sがたくさんのメディアに取り上げられました!