パリの中でも一番有名な広場といえば、コンコルド広場ではないだろうか。
そのコンコルド広場に行ってきた!
交通の中心でもあり、シャンゼリゼ通りはこの広場から伸びている。
7月14日の革命記念日ではパレードが行われる。自転車レースのツール・ド・フランスの最終コースでもあり、クリスマス期間のマルシェ・ド・ノエルに現れる大観覧車もその魅力の人るだ。
このコンコルド広場はパリの一大イベントでは欠かせないスポットにもなっている。
コンコルド広場に行ってきた!
広場に行くと、まず大きなモニュメントのの噴水が見える。
金色に装飾されされていて、美しい姿をした人魚たちが勢いよく水を発射している
この噴水は、バチカンのサン・ピエトロ広場にある噴水を模して造られたものだと言われている。
コンコルド広場の歴史
このコンコルド広場は、昔は通称「ギロチン広場」と言われていた。
フランス革命後にここは処刑場となったのだ。
ルイ16世とマリー・アントワネットを始め、1300人以上の人々が、この広場で処刑されたという。
その当時は名前も「革命広場」に変わりました。今のコンコルド広場からはまったく想像できないけど、当時はすごく多くの人がここで命を落としたんだ。
1795年、恐怖政治の終わりとともに、「調和・和合」を意味する「コンコルド」と名付けられた。
オベリスクのクレオパトラの針
広場の中心にはオベリスクがある。このオベリスクはコンコルド広場のシンボル的な存在でもある。おそらく、世界のオベリスクの中で最も多くの人に見られているオベリスクだ。
このオベリスクはクレオパトラの針(Cleopatra’s Needle)と呼ばれる。こう呼ばれるオベリスクは、他にニューヨークのセントラルパークと、ロンドンのビクトリア・エンバンクメントにもある。このオベリスクはエジプト・ルクソールのルクソール神殿に立てられた一対のオベリスクのうちの1本で,19世紀にパリに運ばれてきたものだ。
一枚岩の花崗岩からできていて、高さ約32メートル、重さ約227トン。
オベリスクの台座部分には金色に彩色された碑文がある。
台座の東面にはラテン語で由来が記述されていて、西面にはフランス語で由来が書かれている。
南面はコンコルド広場にオベリスクを立てた時の様子が説明されており、北面にはルクソール神殿の正面右側に建っていたオベリスクを搬出する様子が描かれている。
フランスとの友好の証として当時のエジプト国王ムハンマド・アリから贈られたものだそうだ。
ヨーロッパ各地にあるオベリスクの多くは強奪によるものだが、このオベリスクは平和的友好の証。
現在のコンコルド広場にふさわしいシンボルではなかろうか。
パリの歴史を感じれる素晴らしい場所だ。
ぜひ行ってみよう!
『コンコルド広場』への住所・アクセス・営業時間
『コンコルド広場』の地図、住所・TEL、駐車場などの基本情報は、以下の通りだ。
名前:パリ『コンコルド広場』
住所:75008 Paris、フランス
創建王: ラムセス2世(新王国第19王朝,在位,紀元前13世紀)