【中編】月夜野工房インタビュー「次の時代に繋ぐためにも、多くのガラス技法を取り入れる」

月夜野工房取締役・4代目倉田弘樹

1905(明治38)年、創業者・倉田昌三氏によって設立した「月夜野工房」。体温計から街頭照明、花瓶、食器、アートまで創業から110年間ガラス一筋で日本の歴史と共に歩んできた。今日はそんな月夜野工房・現取締役4代目倉田弘樹さんに月夜野工房の歴史・ガラス職人への想い、ビールグラスができるまでのストーリーを語ってもらった。
【前編】「体温計からアートまで。110年の歴史と共に日本をガラスで照らしてきた」はこちら
【後編】「人と人が寄り添って生きることをビールグラスに託す」はこちら

あきら 今回、工場を見学させていただき、他のガラス工房と違い、工場をオープンにしていたり、新しい試みを時代に沿って、ガラス工場のあり方も変わって来ているのかなと感じました。

ガラスは人間が初めて発明した人工物

月夜野工房4代目倉田弘樹

倉田 元々、今の工場に60年代の後半ぐらいに、工場の脇でちょっと創作して、一般の方にそこで販売をする直販的な活動、業態をやっていたのは事実です。みなかみ温泉が近くにあり、ちょうど、会社の忘年会旅行や農協、また信用金庫の旅行で1泊2日で旅行に行くのが多かった時代に、ここの工場があったので観光の方が多く見えていたというのが実際あったと思います。

月夜野びーどろパーク月夜野びーどろパーク

そういう中で今のびーどろパークの前身としての、工場見学やお買い物、少し休憩する所、今でいえば道の駅のような活動をずっとやってきました。ディズニーランドが日本に来た時に、テーマパークという概念が日本に来たのは、やはり良かったのだと思います。そうでないと、ドライブインや遊園地の延長という形で工場で作りながら、見学して、美術館を見て知って、体験して、買って、お食事もしていただくという。トータルでガラスという素材で来た方をおもてなしできることに対する定義付けが、テーマパークという言葉でできるようになったのは大きかったと思います。今の職人さんたちも含めて、そういうのが元々隠すつもりはなく、今にきていると思います。当初とすると先進的なことをしようというつもりはなくて、ただ、昔からやってきたことを今でもやっている感覚です。

月夜野びーどろパーク工場見学月夜野工房のガラスを溶かすダルマ炉

あきら などほど、その他にも自分たちの工芸の商品だけではなくて、ガラス細工の歴史とか世界中のガラスを展示していたり、若い人たちの作品なども展示しているので、自分たちの商品の販売だけでなく、ガラス業界自体を盛り上げようという意志を感じる場所だなと思いました。

倉田 ガラスをひと言で言うと、人間が初めて発明した人工物がガラスだと言われています。それまでは、木の棒や毛皮、羊毛、絹とかが、自然にある物を加工して素材にしていったものに対してガラスは全然別のもの。砂浜にある砂を煮て、熱を加えてガラスを作るというのでいくと、鉄よりも歴史が古いと言われています。鉄も言い換えると自然にあるものです。ガラスは、自然にある別々の材料を足して作るという意味では人工物という捉え方ができると思います。人間にとって歴史が短いというのもあるし、知っているようで知らない、ガラスというところ。
何もかもガラスでくくられるけれども、実は違うのです。いろいろな意味でそのようなところを知ってもらいたいという想いがあります。それは啓蒙していかないといけないところかもしれない。そういう意味では「びーどろパーク」という場所を持っていると、それをじかに知ってもらえるのはいいことだと思います。

ダルマ炉を説明する倉田弘樹さん

次世代の技術者を育てながら、新しい技法を発明していく

あきら ガラス職人たちの未来は、どのように考えてるのですか?

倉田 難しいですね。

あきら ここは、いろいろなガラス製法が出来る場所だというのを工場見学の際に聞きました。それはすごく珍しいことで、他のガラス工房だと病院に例えると心臓外科医とか肺炎専門とか特化した製法しかできない。しかし、ここは総合病院みたいにいろいろなガラスの製法が出来るような場所になっていると聞いたのです。
そういう所に若い人が最初入ってくるということは、自分にはどのような製法が合っているのだろうとか、そういうことが分かるのではないでしょうか。最初に専門の所に行っても、本当にその技術が自分に合ってるのか、分からないのではないかと思いました。

月夜野工房倉田弘樹

倉田 突き詰めて言ってしまうと、大事なのはを作る事が好きかどうかということです。本当に好きな人なら、センスという問題は別にして、やはりこういう仕事は努力の積み重ねなのです。その努力をずっとしていく仕事、生き方というのが職人さん的なところで考えると、本当に物作りが好きであれば、なんでもいいと思うのです。どれをきっかけに素材にはめ込んでいくかということだけだと思うのです。なぜならその中で、そういう人は、作家さんやクラフトマンのような方向に行ってしまうかもしれないのです。

あきら なるほど。

倉田 当社の場合、工場をずっとやってきた先輩たちを遡っていくと、5千年ぐらい前にガラスを発見したフェニキアの商人たちからいろいろと試行錯誤をしてきました。「こうすればこういう色が出るんだ」「なぜこういう色が出るんだろう」「こうやったらこう出来ないかな」ということをずっと積み重ねてきた結果が、今のガラス業界なのです。だとすると、それを次の世代、次の人たちに紹介して繋いで行くということも仕事のひとつなんじゃないかと思います。

あきら うーん、素晴らしいですね。

月夜野工房の職人のみなさん月夜野工房の職人たち


出典: rincrossing.smrj.go.jp

倉田 それは結果的に、いろいろな技法を使っているからだと思います。本末転倒かもしれないけれども、技法を繋げるために技法が持つ良さとか、向いている用途などを、もう1度市場に提案しながら、活動していくということが大事なのじゃないのかなと私は思っています。

私からすれば、仕事をして会社を頑張って維持経営していく、職人さんたちを守ることは当然の仕事なのですが、その中のひとつのミッションとして、次の技術者を育てていくのなら、新しい技術、発見、発明ができれば、尚いいのではないか。技法で見れば、いくつかの技法が他のメーカーさんのほうが上手だし、そういう所を引き継がれている所もあるけれども、1部の少ない職人さんしかいない所もあるので、何百年、何十年経って、そういう技術あっても困るよと言われるかも知れない。私としては、まずは次に引き継ぐようにしていきたいというのは夢、またはミッションかなと思います。

ガラス職人技術を引き継ぐ月夜野工房ガラス職人


出典: rincrossing.smrj.go.jp

後編へつづく

次回は、「人と人が寄り添って生きることをビールグラスに託す」をお届けします。

【前編】「体温計からアートまで。110年の歴史と共に日本をガラスで照らしてきた」はこちら
【後編】「人と人が寄り添って生きることをビールグラスに託す」はこちら

 

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中村 あきら

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