【前編】田島硝子インタビュー「時代の変化に地道に対応した60年!」

田島硝子インタビュー

1956(昭和31年)年、創業者・田嶌松太郎氏によって設立した「田島硝子」。以来半世紀以上、お客様からのモノづくりの要請に応え、様々な硝子食器製造技術を開発・採用し「江戸硝子」の名門となった。今回AKIRA DRIVEでも扱っている「富士山グラス」シリーズ。田島硝子の60年のデータベースと職人の技術の結晶の富士山グラスは、日本を超えて海外でも爆発的に売れている。田島硝子の歴史を紐解き、その大ヒットの秘密に迫った。
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中村あきら(以下、あきら) 今日は工場見学ありがとうございました。

田島硝子3代目社長 田嶌大輔(以下、田嶌) ありがとうございます。

後発のスタートで、コツコツと信頼を積み重ねた創業時代

田島硝子社長の田嶌大輔

あきら 田島硝子さんは、昭和31年の創業で60年以上続いています。その間に経済産業省の賞や都知事賞、さらにお土産グランプリなど数多くの賞を受賞されていて、大変伝統のある硝子工場だなと思っているのですが、どのような歴史を進んできたのでしょうか。

田嶌 僕で3代目になります。祖父が昭和31年に田島硝子を創業したのですが、祖父は違う硝子工場に勤めていて、そこで職人としてというよりは、現場責任者または総務というか、昔で言えば番頭さんのような仕事をしていました。今は本当に数件になってしまいましたが、その当時、東京にある硝子工場は、食器関係だけでも5、60件以上ありました。そんな硝子食器業界で経験を積み、数名の職人さんと一緒に独立したのです。

あきら そういうスタートだったんですね。

田島硝子の工場

田嶌 職人さん達は物は作れるし、祖父は職人ではないのですが、商売というか、昔で言うと読み書きができて、いろいろな事が出来るから一緒に外に出ようと言って出てきたのが、田島硝子の創業です。もちろん、お金も無いのにいきなり出て来て、工場を立ち上げられるかというと、そんなことは無いです。例えば、昔は工場がたくさんあったので、違う硝子工場さんのこの場所だけうちに貸してくださいと間借りさせてもらって商品をつくっていました。そういう所に職人を引き連れて行って、そこで1番最初にワイングラスやコップを作り始めました。それで数年やって、ある程度蓄えを作って、今のこの江戸川区の松江に自社工場を立ち上げたのです。

あきら なるほど、そういう風にして独立していくんですね。

田島硝子の工場見学田島硝子の工場の様子

田嶌 今と違って、江戸川区は東京でも本当に田舎で、僕が小さい時でもまだ小松菜畑や、うちのような町工場みたいなのがあるぐらいでした。僕が生まれたのが昭和50年ですが、祖父がここに工場を建てたのが昭和39年で東京オリンピックの年です。その当時、江戸川区は東京都の中でも外れですし、今に比べたら安く土地を分けてくれたというか売ってくれました。結局8年ぐらいで自社工場を立ち上げるに至ったのですが、もちろん全額自己資金で出来るわけではありません。創業からずっと、お金の工面とに追われるような工場経営でした。先程お話があった60年古いですねというお話ありますが、現実は硝子工場で今、現存している手作りの硝子工場だと、うちは1番新しい硝子工場なのです。

ダルマ炉でガラスのタネをつくる連帯窯でガラスのタネをつくる

あきら そうなんですか。

田嶌 逆に言うと、今の時代に腕のある職人さんがいないと成り立たない商売です。工場設備としてガラス窯も作らないといけないので、ある程度の土地が必要です。そうすると工場を建てるのに何億も掛かります。何億もかけて素人の人達をたくさん集めて、いきなり品物を作れるかというと出来るわけがありません。うちのあとには硝子工場が生まれてないのです。生まれたのですが、廃業したりしています。

田島硝子のガラス職人田島硝子のガラス職人

あきら 創業60年で新しい工場になるんですね。すごい世界です。

田嶌 創業当時は、もっと新しいわけですから、ベテランで先輩の会社さんや、腕のいい、品物がいい会社さんもいっぱいあります。新参者ということは、職人さんのレベルも含めて全てが劣ります。
うちの創業から、現会長ですが、2代目の自分の父の時は、とにかく納期を守る、お客さんとの約束したことは絶対に守ることは、最低やろうということでやってきたのです。当時は歴史がある硝子工場さんは確かに品物はいいかもしれませんが、逆にそれに半分あぐらをかくことがあったりして、約束を守らなかったり。確かに手作りの世界なので約束をしてもできないことはありますが、できるだけ買ってくれるお客さまの要望に合わせるというのが創業から2代目にかけてのスタンスでした。

ガラス製造のプロセス江戸切子は2層のガラスを重ねる

あきら 徹底的に仕事としての信頼を積み重ねたんですね。

田嶌 それをとにかく守ることによって、田島硝子は言ったことは守る、ちゃんとやってくれるという所で信頼関係を作ました。

他国のガラスの輸入と、機械の進歩で東京のガラス工場の多くはつぶれる中、田島硝子は変化に対応してきた

あきら この田島硝子が「江戸硝子」と「江戸切子」の制作をされていますが、それは最初からやられていたのですか?

江戸切子の模様をいれていく江戸切子の模様を入れていく切子職人

田嶌 最初は、それこそ透明の硝子しか溶かしていなかったのですが、やはり段々硝子工場が減っていったりすると、いろいろな要望のお客さんがうちにもくるのです。すると例えば江戸切子で使う被せ硝子を作って欲しいですとか・・。
その時代時代に合ったいろいろなものを、今やれる技術プラスアルファで考えながら技術を増やしていきました。技術というのは、持っていても、それを欲してくれないと何の意味もないものです。

あきら なるほど、自社商品も増えていっていますよね。

田嶌 ここに来て、自社商品が評価されています。50年60年前までは、日本の硝子イコール日本製が主でした。しかし、硝子自体は手作りのものでも、元々はヨーロッパが主ですから段々と輸入物が入ってきました。そうすると日本より歴史のあるヨーロッパの、例えばルーマニアとかチェコとか旧社会主義国だと、そこそこの技術のいい品物が安い単価で入ってきます。そうすると業務用ですと、安いのでそちらのほうがいいという話になります。その後、中国製のものが大量に入ってきました。その前はタイで安い物を作れるよと言って、タイでも高くなれば中国で、今だとベトナムで、あちらのほうでも硝子を作っていたりします。買うほうからすると選択肢がかなり増えたわけです。

江戸切子田島硝子の江戸切子商品

あきら 昔と比べて購入者の選択肢が増えた、と。

田嶌 日本は日本で機械の技術も発達してきました。手作りとマシンと、品質がどんどん近くなってきたのです。昔はマシンメイドのコップだと、いかにもやぼったくて、誰が見てもこれ機械で作っているんだろうなと分かったのですが、今は品質が良くなってきているので、ほとんど人工物との差別化も出来なくなってきました。それに対しての対抗策が出来ない所が、どんどん減って倒産していったのです。それは新しい発想で物作りをしなかったという結果なのです。

あきら 技術の進歩に対してどう対応していくかが新しい課題となったのですね。

田嶌 硝子業界全般が、この2、30年の間に業界として疲弊していったのです。創業の時60件とか東京だけであったものが、今、東京だけで、うちと同じような吹き物、吹きガラス工場と呼ばれてる所が2、3社しか無いのです。日本全国で10件も無いのです。それだけ減ってしまったのですが、うちがそれで甘んじていたら同じように潰れてしまいます。先代の頃は、技術を増やして、いろいろなお客さんに対応出来るようにしてきました。それがいまですと、ガラス業界以外の企業様が自分の所のオリジナル商品を作りたがるようになってきました。それが2代目で技術を増やしたことによって、うちは、いろいろな対応能力が生まれました。

田島硝子の3代目田島大輔さん

あきら オリジナル商品をつくりたいという時代にニーズにマッチさせていったんですね。

田嶌 長年OEMの仕事をさせていただいておりますと、時代時代で、グラスの肉回りや重さも変化していきます。そうすると、今の時代だとこういうものが合うんじゃないかなとか、うちだと江戸切子のキセ硝子を作れるんだから、カットもやってみようかとか、江戸切子の自社商品をまず作ります。ここ最近ですと、「富士山グラス」シリーズでご評価いただいたりもしています。

富士山グラスシリーズ富士山グラスシリーズ

あきら なるほど。聞いてて思ったのは、田島硝子さんはこれだけ東京で時代の変化と共に数々のガラス工房が潰れていったのに、生き残って今なおヒット商品を出し続けています。その秘訣は、まさに変化に対応し続けてるってことに尽きますね

田嶌 有難うございます。

中編へ続く

次回は、【「時代の変化に対応するためにあえて請負仕事を残していく」をお届けします。

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中村 あきら

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