【前編】元ウブロ代表取締役・高倉豊×中村あきら対談「一流外資系経営者にはどうやってなるのか?」

高倉豊×中村あきら対談

高級腕時計ウブロの元代表取締役の高倉豊さん。当時、ウブロは日本人の誰も知らない時計だった。今では経営者や芸能人、成功者の憧れの時計としてそのブランドを築いている。そのブランドをつくったのが高倉豊さんだ。ウブロだけではなく様々な一流外資系の社長を歴任した。スポーツ選手の憧れの高級時計「タグホイヤー」、高級化粧品「パルファム・ジバンシイ」「イヴ・サンローラン・パルファン」「シスレー」など一流の外資ブランドを日本へ浸透させた立役者だ。今は、起業家や経営者に「ブランド再生請負人」として活躍している。
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あきら 今日の対談相手は、元ウブロ・ジャパンの代表取締役でビジネスコンサルタントの高倉豊さんです。高倉さんは、過去にウブロや、タグホイヤーといった外資系高級時計メーカーや、ジバンシイや、イヴ・サンローラン、シスレーといった外資系高級化粧品メーカーの日本法人のトップを歴任された方です。今日はよろしくお願いします。

高倉 よろしくお願いします。

他の人がしたがらないことが、自分の憧れだった

あきら まずは、高倉さんの経歴と、なぜ数々の外資系高級メーカーの日本法人社長を20年もやられるようになったかを教えていただけますか。

元ウブロ代表取締役高倉豊

高倉 わかりました。ぼくは、最初、博報堂に入社しました。当時は、高度成長期の時代で、「転職」という考え方がなく、一度、就職したら定年までその会社にいるという考えが当たり前でした。その中で皆が考えるのが、「その会社の中でいかに出世するか」ということです。
従って、基本的に、皆、本社に居たがるんですね。本社から他に異動するのは、「左遷」と見なされるんです。だから、博報堂の当時の従業員は国内や海外の支社があるのですが皆が行きたがらなかったのです。

あきら 今だと、海外派遣は、社員にとって、チャンスと思われきつつあると思うのですが、昔は、あまり良いイメージではなかったのですね。

高倉 そうですね。昔は、海外から情報が今ほど入ってきませんから、言語のハードルも、より高くて大変だったので、皆、遠巻きに海外というものを眺めていました。「転職」さえ珍しい時代なので、「海外派遣」も、一般的ではありません。そんな時代だったのですが、ぼくは子供の時から、海外に強い憧れを持っていたので、皆が行きたがらないのを、これ幸いと、率先して海外の派遣社員として、ヨーロッパの国々を渡り歩きました。

あきら 他の人がしたがらないことが、ご自分のしたいこと、というのも面白いですね。

高倉豊

高倉 たしかに、海外で、外国語で、生活することは、大変でした。言語の問題も当然ハードでしたが、欧米の仕事の仕方に順応するのにも、苦労しました。しかし、日本人があまり来たがらないということは、派遣先には日本人が少ないんですね。ですから、日本からの目をあまり気にすることなく、好きなことを自由にさせてもらうことは出来ました。そうこうしている内に、彼らの働き方と、その国々での言語を習得しました。そういうふうにして、博報堂で仕事をしていたのですが、実家の事業が立ち行かなくなり、家業の負債の返済の援助をする為に、もっと収入のある仕事に就く必要が出てきました。
その為、博報堂に入って18年目で退職をし、他に収入の良い職を探すことにしたわけです。そこで、ヨーロッパ駐在時代の友人からヘッドハンターを紹介していいただきました。 そのヘッドハンターの方から、「ジバンシイという会社が、日本で支社をつくる為、社長に据える日本人を探している」という事をお聞きし面接を受けたら、採用されて、日本法人の社長になったんです。

あきら すごいですね…。そんな風に決まるんですね。当時を思い出して頂いて、どうして採用されたと思いますか?

高倉 これが今でも正確な理由は分かりません。ジバンシイは高級化粧品会社なので、先方は、化粧品業界に携わっていた人か、商品を販売した経験がある小売業の人を、探していました。けれど、ぼくは、どちらもやったことがない広告業界の人間でしたから半分当て馬として面接に臨みました。
そして面接時にジバンシイの本社の社長から、「社長として、プレステージブランドを分かる感性を持っているか?」と訊かれたとき「このような採用面接の時に感性を持っていないと答える人はいません。私がプレステージブランドの日本の社長をする感性を持っているかを判断するのはあなた達です」と答えたんですね。それが良かったのでしょうか?当て馬のつもりで行った面接で受かってしまいました。

あきら その面接は、外国語なんですよね?

シスレー高倉豊

高倉 ジバンシイは、フランスに本社があるので、フランス語での面接でした。

あきら ぼく個人の感想ですが、きっと日本人がフランス語で、フランス人に言い返すということが向こうにとって、良い意味で衝撃だったのだと思います。高倉さんのその度胸と言語力が買われたんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。

高倉 そう言われると、確かに、当時、日本から見ても海外というのは、情報が少なく、取っ付きづらいものでしたが、それ以上に、海外から見たら、日本は本当に未知の国だったんじゃないかと思います。だけれど、日本はバブルに押されて、どんどん世界で影響力を伸ばして、無視できないから、日本の大きなマーケットを見込んで支社をつくる、という流れだったのでしょう。そういう背景で、日本と海外、両方の事情や働き方を理解し、両方の言語をちゃんと操ることができる人というのが、そもそも日本にあまりいなかったからというのも、あったのでしょうね。

あきら 面白いです。みんなが海外派遣にあまり行きたがらなかったからこそ、それを選び、海外派遣を経験したことで、高倉さんの価値が高まったんでしょうね。また今の時代でいうと、海外から見たときの中国やインドがそのような見られ方をしてるかもしれませんね。若い人は、これからの国に入り込んで有名企業の日本支社社長とかアメリカ企業の日本支社長とか狙ったりして自分のキャリアをスタートするとかいいんじゃないでしょうか。それで、そのあと、どうして他の外資系会社の日本法人社長になったのでしょうか。

一つの実績を残すと、日本進出したい企業がこぞって依頼してきた!

高倉 当時は、ジバンシイだけでなく、他の海外有名企業もどんどん日本に乗り込んでくる時代でした。けれど、やっぱりそこに上手く順応できる日本人が少なかったですし、日本の事が良く分かっている外国人も少なかったので、人材不足の時代でした。
なので、ジバンシイの売上を伸ばすことに成功し、実績を挙げると、他の日本法人をつくりたい、または、つくっても売上が伸びない会社からヘッドハンティングされたりして、最終的に、「有名海外メーカーの日本法人の社長業」を20年務めました。

あきら いやー、すごいですね。バブルの時代って、今以上に、目に見えて激動の時代だったと思うのですが、そこで、ご自身がやりたかった「海外に住む」ということが、結果として、外国語の習得や、外国人のビジネスタイルの理解に繋がって、他の日本人が中々得られない能力や価値観として、社会で求められるという好例ですね。若い人に対して、どんどん、自分のやりたいことを突き詰めると、それが結果として、他と違う自分の強みになるというメッセージになると思います。

高倉 海外に派遣されていた時は、「後々、この経験を使って、日本法人の社長になろう」とか。当然考えていませんでした。本当に、たまたま、自分の経験とキャリアが上手く噛み合ったんだと思います。あとは、今、自分が持っているものを最大限に使うと、それが自然と他のものとの差別化になって、強みになるのでしょうね。

あきら 高倉さんの話を聞いていると、どんな時代も誰もやらないことをやる人が求められるなと感じますね。起業家ってそれに尽きると思いますね。

高倉豊×中村あきら対談

中編へつづく

次回は、「数々のブランドを作ってきた経験に裏打ちされたティッピングポイントの超え方」をお届けします。

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中村 あきら

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