【中編】鈴木惣士郎×中村あきら対談「自分たち夫婦にとって世界一住みたい場所はどうやって見つけるのか?」

鈴木惣士郎×中村あきら対談
ドリームワークカレッジや女性コーチングスクールwithなどの月商3,000万円以上のスクール運営、「ゆかい村」などのコミュニティ運営、講演業で10万人以上もの人に日々メッセージを伝える鈴木惣士郎。現在はフィリピン・カミギン島に住みながら熱帯大自然生活、海外を周りながら日本で講演するという日々を送っている。そんな惣士郎さんに、「自分たち夫婦にとって世界一住みたい場所はどうやって探せばいいのか?」というテーマで深く聞いていった。
【前編】「コミュニティをビジネス化するには?」はこちら
【後編】「日本を超えて、世界でつながる自分だけのコミュニティをつくれ!」はこちら

あきら 今はフィリピンのカミギン島に住んでいるそうなんですけど、どういうプロセスでカミギンに行ったんですか。

世界中を周って周って、カミギン島に降り立った瞬間に「ここだ!」ってなった!

フィリピンカミギン島の地図フィリピン・カミギン島の地図

惣士郎 世界中、この地球上でどこでも好きな場所に暮らせたらって思ったんですよね。やっぱり興味が湧く場所でワクワクする場所でって思ったときに、生きている間に、この地球をディズニーランドの様なテーマパークだと思って、いっぱい動けるっていうのはすごく楽しい。だから目いっぱい動いてみたいと思ったし、その過程で、じゃあ一番いつもいたくなるような場所ってないかって、妻と2人で、冒険をし始めたんですよ。

あきら 一番いつもいたくなる場所っていいですね。

惣士郎 そう。そういうテーマを持って、それまで旅行で15カ国ぐらい行っていて、そこを改めて確かめに行ったり、新たにまた10カ国ぐらい増やして回ってみたり、というふうにしていった結果見つからなかったのよね。旅行先とか、冒険先としてはいいけど、「うわっ、ここは住む場所だ」って思う場所がまったくないんだよね。じゃあ住むんだったらこんなとこかなって思っていたところの全てが自然の中だったんだ。そこから住むに当たってのキーワードが出てきた。「大自然」じゃなきゃやだって。

あきら 大自然(笑)

惣士郎 そう(笑)それで突然直感で実は本当何か前々からフィリピンが気になってて、何か知らないけど頭でいろいろ避けてた。危ないんじゃないか、「近すぎるから冒険じゃねえじゃん」とかいろいろ突っ込みが入って、あんまり特段魅力とか面白さとか聞いたことがなくてね。あと、フィリピン料理屋さん知らないなとかね。

あきら 確かにあまり馴染みがないですね。

惣士郎 でもよくよく見たら、すぐ日本に近くて交通も整っているし、これから動いていくアジアの中でもポテンシャルのある東南アジアの中心で、7000もの島からできているという何ともワクワクで冒険感がある国なんだ。そして何と英語が共通語という、そして人口もそれなりに多い。多いってことはこれから社会的に発展する余地があるっていうことと、そして人口の一割が世界に移住してるんだよね。だからフィリピン人の10人に1人海外に住んでるという、何ていう国民なんだと。この国のポテンシャルはすごいぞみたいな。いろいろな面白さや興味が目を向けたら湧いてきた。

あきら なるほど。

惣士郎さんと妻のみほさん惣士郎さんと奥さんのみほさん

惣士郎 最初フィリピンのセブ島を見つけて行ってみたら、まったく大自然の中に戯れて暮らすみたいな感じではなかった。いろんなリゾートがごちゃっと集まった街だと、僕たちには見えて、「ああ、残念」と、うなだれながらネットでカタカタいろいろ探していたら、1枚の写真に直感的に目が行って、「ここだ!」って突然感じたんだ。すぐチケットを取って翌日にはその島に飛んでいて、空港降りた瞬間に「絶対に間違いない」と。

あきら それがカミギン島との出会いだったんですね。

惣士郎 いろいろなものを見聞き経験してきた五感がね、直感に働いてくれて、「絶対ここ!」って体全身にこう訴えてくれた。じゃあ、もうどっぷりここを冒険してみようということで2カ月ぐらい散策をしていったら、もう毎日が「完璧!完璧!」みたいな。「絶対ここ!絶対ここ!」って言って、それまで「うーん」とか「違う」とか「まあまあ」とかだったのが、もう「絶対、絶対」っていう毎日に出会えた。だからここに長く暮らす前提のもと、ここをベースにして地球に暮らし、地球を生きたいと決めたんだ。家に住んでその地域を生きるんじゃなくて、島に住んで地球を生きようというコンセプトが出てきた。今はカミギンを基軸にして、日本にも頻繁に訪れるし、世界にもいろんな冒険しにでかけるし…日本と島と世界を回るっていうのを3分の1ずつのバランスでいますね。

自分たち夫婦にとって許せないものは何か?を見つけることが大事

鈴木惣士郎×中村あきら

あきら 実際にそのカミギンに行ってみて、落ち着くまでだったりとか、現地の人と仲良くなったりとかするまでのプロセスとか、そこに根付くまでの考え方だったりとかをちょっと教えていただけたらなと思います。

惣士郎 まず、最初に冒険をしてみたら、本当にいいところ、いいこと、いい人ばかり。食べ物もおいしくて、言ってみれば非の打ちどころがなかったというぐらい。自然なんでね、虫がいるとか、そんな豊かな国でも地域でもなかったんで、いろいろ建物が日本に比べてはるかにぼろいなとかね。そういうのはあるけれども、僕たちが理想に思っていた要素はすごく揃っていて、だから、まずはいつまでかはわからないけど長くここに暮らそうという気持ちに立ったというのがまず大きい。「どうかなあ?」じゃなくて、長く暮らそうという上で実験生活というのに入って行ったという。だから付き合ってみてから考えましょうとかじゃなくて、結婚を前提にしたお付き合いをってことをやってみたって感じですね。

あきら それってどうやって決めれるんですかね。ここに長期間いるって決める。何を決めれば、そこに長期間いるって決めれるんでしょう?

惣士郎 なにより一番求めていたものは毎日の長い時間を何に費やすのかってことで、僕の場合は、自然と戯れていられるっていうことだった。妻に関していえば交流が好きっていう、特に異文化交流がね。自然と触れ合うことというのが2人とも一番好きだし、僕もずっとコミュニケーション、コミュニティの人だった。人と自然という要素がすごくこうばっちりあって。あとは2人とも食べるのが好きなので、美味しいごはんがあったり、ごはんをつくる楽しみがそこで過ごせるということ。なので、毎日自然に戯れて、楽しい人たちやいろんな文化の人たちと触れ合って、おいしいごはんを食べれるんだったら、もう長く入れるし、ほかにいたい場所がないんだったらもう全然他のところに暮らす理由なんかないみたいなね。だから、それまでにまずは理想というか、自分たちが本当に何が好きなのか、頭じゃなくて心から思えることというのを、時間をかけてはっきりさせていくというのが大事なんじゃないかな。

鈴木惣士郎×中村あきら

あきら ぼくら夫婦も惣士郎さんのカミギンの生活に影響されて、海外に住みたいなと思っただんですよ。だから、シリコンバレーに住みました。そのときにぼくら夫婦も同じように迷ってて、どこが自分たちにとっていいのかって。そこで惣士郎さんに夫婦でどこに住みたいかというのを決めたときに、2人が好きなところではなくて「2人にとって許せないものは何か?」を見つけることが大事だよと言われたのを覚えています。

惣士郎 マイナス面をあぶりだしていくというプロセスは家探しだけじゃなくても大事だよ。すごく嫌なこととか嫌いなことってパワフルだから、引っかかっちゃうんだよね。例えば洋服全体の中で一カ所ほつれてたら、そんなの全体の中の1パーセント以下だからいいじゃんっては思えない。だからすごく嫌なこととか不満なことがあるとほかにどんなに良くてもどうしても意識がそこに行ってしまう。やっぱりさっきの起業の話もそうだけど、事業をやるときに何がしたいかと考えるけれども、自分にとって何がNOTなのかというのもクリアにしなきゃいけない。

鈴木惣士郎中村あきら対談

あきら 惣士郎さんたち夫婦にとっては何がNOTだったんですか?

惣士郎 最初は実はね大逆転で、虫がNOTだったんです。

あきら 大自然に行きたかったのに?(笑)

惣士郎 「ウッソー」って話だよね(笑)本当は僕はちっちゃいときから虫が出たら、特にゴキブリ出たら引っ越すみたいなぐらい虫が嫌で。だからまずそれがNOTだったはずなのが、ほかのことがあまりに良過ぎてNOTが関係なくなっちゃって、受け入れてしまうみたいなことがあったのも実はすごく大きな発見だったんだけれども、僕たちはもう都会の雑踏みたいなものの中に暮らしたいとは全く思わない。

あきら そっちのNOTのほうが強い?

惣士郎 強い、それは間違いなく強くて、それから移動があんまりに多くて、自分たちのその日行く仕事とか自分の行きたい場所とかっていうのにあんまりにも沢山動かなきゃいけないみたいなのは日常生活においては嫌だった。だから今の島はバイクにまたがって15分でも走ると、大体近場で本当に望む場所がぎゅぎゅっと凝縮されていて、コンパクトですごく気が楽なんで、億劫になって、動かなくなったんだ。だから、もう電車とか乗り物に乗って移動しなきゃいけない生活とかそういうのは嫌だと。あとは変化がすごく好きだから、決まり切ったいつもの人たちとかいつもの場所とかいつもの文化みたいなのでは嫌だと。刺激がある場所に行きたいっていう思いが強いです。

あきら でも、虫とかっていうのはもう克服できるってことなんですね。例えば慣れるNOTと絶対自分ら夫婦にとってダメなNOTの見分け方ってなんですか?

惣士郎 やっぱりやってみることですね。やってってだんだん良くなってOKになるものなのか、やっぱりいかんって思うものなのかっていうのを見極めてくってことなんですね。

日本人が誰もいないから日本代表としてお金持ち同士がつながる

鈴木惣士郎インタビュー

あきら 住んでみてカミギン島というところにも住人たちがいるわけじゃないですか。そういう人たちともすごい仲良くしてますよね、惣士郎さん夫婦たちというのは。

惣士郎 うん。恵まれてね。

あきら どういうふうにつながりができていくもんなんですかね、海外に住んだときに。

惣士郎 僕たちは一番最初にもちろん家がないんで、宿を取る。その取った宿がレストラン付きのゲストハウスっていうかで、泊まっていたらその食堂でごはんを食べるわけですよ。そこに島中の人たちや観光者が毎日のように訪れていて、そこで「Hi.」って言って「どこから来たの」みたいなところから知り合いが増えて行く。じゃあ「僕たちはここの島に暮らそうと思って今家探してるんだ」と、「だったらあそこに家あるぜ」とか情報くれたりするんだ。島に日本人が僕たちしかいなかったので、「珍しいぞ、日本人来たぞ」みたいなという感じで次々と友達を紹介、紹介、紹介でいっぱい友達ができて、じゃあごはんに誘われるとか、「一緒にシュノーケリングしにいかないか」とか、「明日ジャングル探検するからやらないか」とかお誘いがくるわけなんだ。誘いをこなしているだけでもうスケジュールがいっぱいぐらいになっていって、もうとにかく友達が最初の2カ月ぐらいで一気に増えて、毎日のスケジュールがないぐらいのコミュニティにつながっていったということなんですね。

カミギン島のリゾートオーナーカミギン島のイタリア人リゾートオーナー

あきら ぼくがカミギン島に行ったときにカミギン島自体がこれから開発されるんじゃないか、リゾートとしての投資物件で、結構いろんな国から投資目的に来ている外国人の人が多かったでしたよね。

惣士郎 ここに暮らしたいという思いで来る人と、やっぱ投資意識の人が両方暮らしてるかな。土地とか不動産押さえながら別荘的な使い方をしているというか。

あきら お金があるというのはあれですけど、そういうヨーロッパ人だったりとか、アメリカ人だったりとか、そういったところのコミュニティに日本代表みたいな感じで入れているのもすごいなと思いました。ぼくとかシリコンバレーで結構日本人が多いから日本代表とはならないですよね。でも誰も知らないような島に日本人が行ったときに、日本人というものは惣士郎さん夫婦2人なわけじゃないですか。じゃあ日本のことを知るってなったらもう2人に聞く、それですぐ友達ができてるって感じがすごいいいなって思いましたね。

惣士郎 島の人たちが日本に興味があって僕らに来るということはほとんどないけれど、逆に僕らと出会って仲良くなったら、日本に興味を持ってくれるってことはやっぱりすごく多い。僕たちも友達になった人の国にやっぱり興味が湧くからいろいろ調べたりもするし、「絶対行こう」って思うし、という交流・交歓が起きていて、その日本人がいなかったっていうことと、本当にフィリピンの離島にジャングルぐらいの気持ちで冒険に出たのに、結果的には地元の人も9万人ぐらいいる。

鈴木惣士郎とカミギン島

あきら あの小さな島にそんなに人がいるんですね!

惣士郎 そう。海外からも今や1000人近い人たちが移住してる。その中にしかも日本人が2人しかいなかったというところで一気に友達が増えたね。僕たちだけでも50人をはるかに超えて、多分100人ぐらいいるんじゃないかな。あんまり広げたいかというとやっぱり仲のいい人たちと深く付き合いたいので、そういう関係になって本当に仲のいい人たちは20人ぐらいに限られては来るよ。でもやっぱり世界中の人たちとつながっていて、不思議なことに各国2、3人ずつぐらいしかいないのに30カ国の友達がいて、プチ国連みたいな気分にはなれるというね。

あきら いいですね。面白い。惣士郎さんを見て思うのは、起業したい人達にとってそういう日本人が誰もいない島に行って、日本代表として各国のお金持ちと友達になるってやり方もあるなと思いましたね。途上国だからお金もあまりかからないし、コミュニケーション能力があればすぐ仲良くなれそうだなって感じました。

後編につづく

次回は、「日本を超えて、世界でつながる自分だけのコミュニティ」をお届けします。

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