【前編】鈴木惣士郎×中村あきら対談「コミュニティをビジネス化するには?」

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ドリームワークカレッジや女性コーチングスクールwithなどの月商3,000万円以上のスクール運営、「ゆかい村」などのコミュニティ運営、講演業で10万人以上もの人に日々メッセージを伝える鈴木惣士郎。現在はフィリピン・カミギン島に住みながら熱帯大自然生活、海外を周りながら日本で講演するという日々を送っている。そんな惣士郎さんに、「日本と海外のコミュニティ」「ビジネスとしてのコミュニティ」というテーマで深く聞いていった。
【中編】「自分たち夫婦にとって世界一住みたい場所はどうやって見つけるのか?」はこちら
【後編】「日本を超えて、世界でつながる自分だけのコミュニティをつくれ!」はこちら

中村あきら(以下、あきら) 今日はぼくが学生の頃からお世話になっている鈴木惣士郎さんと対談させてもらいます。よろしくお願いします。

鈴木惣士郎(以下、惣士郎) よろしくお願いします。

「ゆかい村」は東京のシェアハウス文化の原点

鈴木惣士郎

あきら ぼくと惣士郎さんが知りあったのはぼくが7年前受講した起業家育成スクール・ドリームワークカレッジですよね。そのとき惣士郎さんは講師をしていたわけですが、その後も起業家コミュニティをつくったり、今ではフィリピンのカミギン島に住んで人を集めたり、と色々なことをやっていますよね。実際に今までどんなことをやってきたか、詳しく教えてもらえますか。出会った頃は、講師業でしたよね。

惣士郎 出会った頃からだと、講師兼コンサル業ですね。仕事という切り口で言えばコンサルだし、やっていることの量の多さでいうと講師のほうが多いみたいな。つまり、講座・講義・講演・研修・セミナーというような人の成長を応援する話し手、という講師の仕事と、経営者の相談に乗るというコンサルティングの仕事の2つがメインでした。

あきら そのメインの仕事をしながら、ぼくも加わっていた「ゆかい村」っていう東京の葛西に起業家・商売人のコミュニティを作り出しましたよね。講師業と起業家コミュニティの二つはどんなつながりがあったんですか。

惣士郎 最初研修であったり、イベントを通して、とにかく人を育てたい、リーダーを育てたいということをずっとやっていたんだよ。そうしたら結果として、仲間のつながりが増えて、コミュニティができて、そのコミュニティの人たちと葛西で一緒に暮らすようになったって流れかな。当時はまだあんまり、シェアハウスの文化とかなかった頃だけどね。

「ゆかい村」があった葛西の街並みゆかい村があった江戸川区・葛西の街

あきら シェアハウスの文化なかったですよね。ぼくは最先端なイメージがありましたし、実際に当時、「他人と一緒に住んでるの?」って驚かれました。

惣士郎 驚かれましたね。今では、東京におけるシェアハウス文化のはしり、みたいに言われたりすることもあるぐらいだからね。単純に家賃みんなで割ったらいいよねとか、ごはん一緒に食べたら美味しいよねとかから始まり、一緒に切磋琢磨していくうちに、家族のように、つながりあえる仲間になれたんじゃないかなと思う。漫画家のトキワ荘みたいな感じに、なってたんじゃないかなって。

あきら 「ゆかい村」に関わった人がどんどんシェアハウス事業をつくって、自分のコミュニティを各地に作っていきましたもんね。「ゆかい村」っていう結構変な名前のコミュニティだったんですけど、集まっている人たちって、例えば京大とか東大とかの人もいましたし、すごい優秀な人たちがみんな一緒に住んで、そこに何かを感じて住み始めて、アンテナの高い人たちが集まってたなと感覚がすごくありますね。

惣士郎 そうだね。変わっているけど、どこか優れている人の集まりみたいな感じだったかな。

起業は「簡単なんだ」っていかにマインドを変化させれるかが大事

中村あきら×鈴木惣士郎

あきら ぼく自身も一緒に起業仲間と住んで、みんなでビジネス教材みたいなのを回し見たりしました。学生なりにみんなで起業を学んでいくみたい感じでした。実際、あのゆかい村の人たちってほとんどみんな起業したんじゃないかみたいな。

惣士郎 そうだね。

あきら あれは本当すごいなっていうのは思いますね。ほかの起業家コミュニティって、起業したい人たちの集まりなんだけど、みんな起業しないというのが結構多いと思うんです。でもあのゆかいの人たちは本当みんな起業したし、起業しないと生きていけないような人たちが集まりましたよね。

惣士郎 エニートというやつだね。

あきら エニート(エリート+ニート)ですね。「ゆかい村」って名前だし、みんな起業準備中で家にこもってたりしたから、散々怪しいって言われてましたけど。中身は、エリートの人たちが必死にじっくり自分のビジネスを考えるというコミュニティでしたね。

惣士郎 あそこは、エニートが集まってたしね。イベントをやってきた頃のスタッフの人たちから始まって、いつも自分がつながったコミュニティの仲間って、本当に高い割合で起業しているなって思う。恐らく、結局15年ぐらいコミュニティ活動とかいろいろやった結果、多分、二百数十人の起業家が生まれる場に直接的にか間接的に関われたんじゃないかな。きっと、大小ピンキリいろいろ種類もあるだろうけど、起業という形で会社勤めじゃない生き方を選択する人たちが多くなってきていたというのは、当時の新しいカルチャーだったんじゃないかな。

あきら 何で惣士郎さんのまわりに、そういう起業家とかが集まって来たんですか。

惣士郎 起業家が集まったというか、そもそも起業なんて考えもしなかった人たちが、僕たちのイベントやセミナーに参加したら、少しずつ考え方が変わってきて、結果としてみんな起業したんじゃないかな。「お金も自分の仕事の内容も、全部自分で選択していいんだったら、起業したほうがいい」って考えに変わる。「起業」ってどうしても難しいと思われがちだけど、僕の周りの人たちは、正しいか正しくないか、いいか悪いかは別として、簡単だと思うようにマインドを変化させてた。留学の英語と僕すごい似てるなって思ってて、10年留学したらどんなお馬鹿さんでも勉強続ければ英語がしゃべれるようになるみたいな感じだなと思ってるんだよ。実際にはすごく大変なことが多いけど、やっぱりできるって自信がないとできないからね。幸い、そういう志を持った仲間やカルチャーをつくれたから、みんな、まわりの成功や挑戦に後押しされて、大変なことがあっても、志を失わずに乗り越えることができたんだと思う。だから、とにかく商売を「やる」、「やらない」と出来るようならないから、「やる」っていうことを最初に徹底できたのがやっぱ大きいんじゃないのかな。

起業家として成功しても、いい奥さんがいないとバランスが崩れる

鈴木惣士郎

あきら ゆかい村のあと、女性支援事業を展開していましたよね。コーチングスクールwithだったりとか、広尾の心美人サロンとか、それはどういう流れだったんですか。

惣士郎 僕は男女差別はないけど、男女の特性の区別はすごく大事に思っていて、やっぱり女性には女性らしい生き方、男性には男性らしい生き方があるし、やっぱり男女平等だからといって、「ラグビーも一緒にやりましょう」とはならないよね。だから、お父さんがお父さんらしさ、お母さんがお母さんらしさを、ちゃんと持てるように家と家族のマネジメントをして、商売とか社会活動とかに活かせるようにする。そうすると、外の仕事で作られた人間関係というものも、ちゃんとパートナーシップや家族っていうところに生かされていくんだよ。起業家として豊かでも、素敵な奥さんがいなかったり、安心して子育てを家族に任せられなかったりすると、家庭のバランスが崩れてしまって、ゆくゆくは必ず事業のバランスも崩れるんだ。そういうことをね、あらかじめ食い止めておきたいなって。

あきら 女性支援の数字的な実績みたいなのはどんな感じですか。

惣士郎 僕自身の事業という切り口でいうと、ピーク時は月商3000万円ぐらいでしたかね。

あきら 月商3000万!つまり年商3億円ですよね。それは女性スクールとして異例じゃないですか?どれぐらいの数の生徒さんが参加したんですか。

惣士郎 僕は、まず、コミュニティっていうものを2段階に分けて、ソーシャル的なつながりのあるコミュニティと、もう本当にこの人たちは仲間だってみんなで認識しあうコミュニティがあるんだけど、前者、つまり全体で3000人で、後者のコアなメンバーが4~500人だったね。

惣士郎の女性支援惣士郎さんの当時の女性支援活動

あきら いいですね、ぼくも起業家にとって支えはすごく大事だと思います。ではそんな実績や経験をもつ惣士郎さんからこれからスクール、つまり人を育てたい、人を育てることをビジネスにしていきたいって思った人に、何が大切かアドバイスはありますか?いい仕組みとかありますか。

惣士郎 まずコミュニティプロデュースってことと、コミュニティ事業プロデュースが別の仕組みであり両方考えていく必要があるよ。コミュニティというのは別にそこに経済が介在しなくてもある一定のテーマに基づいて、人が集まる場であるということであり、コミュニティ事業とはそのコミュニティで、経験や感動、成長を人に提供しながらビジネスとして成り立たせるかいうこと。そこをちゃんと理解しないといけない。

あきら なるほど。

惣士郎 なぜなら、よく起こる失敗のケースとして、理想のコミュニティが崩れちゃったり事業にならなかったりするのがある。これは、まず先にコミュニティを作ってしまって、あとから何とかこれお金にならないかっていうふうにするのが原因なんだ。これはソーシャルなものをあとからマネタイズするようなものとは全然違って、コミュニティというのはそこまでにあるカルチャーをみんな信じて集まるので、途中で何かの形やルールや方針が動かそうとすると、みんな動揺するんですよ。

あきら 確かにそんなコミュニティをいっぱい見てきました(笑)

惣士郎 だから先々までコミュニティがどうなっていくかの発展をイメージする。そして、そのコミュニティで出来始めた段階で「最初にこういった課金をします、こういったルールです」って先に知らせてから、「けれどルールに従ってお金を払らいながら回って行くと、こういう価値や成長や感動が得られるんですよ」というフォーマットをこちらがちゃんと用意することが大事なんだね。お金を払いたくないって人は、外れてもらうとか、他のもっと安くて薄いコミュニティを紹介してあげる、という交通整理をしてあげることも大事だと思う。

自分のアイデンティティで、コミュニティをどうするか決める

鈴木惣士郎

あきら 例えば、そのコミュニティ・リーダーにとって、コミュニティをビジネス化することとビジネス化しないことでは、もちろん人によって前提は違うと思うんですけど、そのどちらが自己実現できるのでしょうか?コミュニティ・リーダーの性格で分けてもいいです。こういう人はコミュニティを事業化しないほうがいいし、こういう人は事業化をしいてったほうがいい、でもいいんですけど、どうですか?

惣士郎 「アイデンティティ」かな。自分を事業家だと思っている人は、事業として、やらない限り絶対実現しない。

あきら 自分が作りたいコミュニティをってことですか。

惣士郎 自分をコミュニティプロデューサーだと思っている人は、そのコミュニティを第一に考えているから、コミュニティ事業に対しては、どしても二の次になりがちなんだよ。僕自身がまさにそうだけれども、事業のためにコミュニティつくってるんじゃなくて、コミュニティをつくるプロセスや手段として、事業というものを、かませていくという考え方をしている。いつもコミュニティありきで、事業が目的じゃない。

あきら 惣士郎さんのアイデンティティは事業家ではないということですか?

惣士郎 僕はコミュニティプロデューサーですかね、そう考えるとね。事業家は、まず事業を起こそうと思い、その手段としてコミュニティをつくる人だから。普段あんまりそうやって表現することはないけど、昔から僕はそういう視点で動いている。世界・人類をどうしていきたいか、どうなったらいいか、をずっと考えていて、その実現のために、自分の関わる人たちに、どんなコミュニティや世界観を見せていきたいか、ということをやってます。

あきら さらに言うと、ぼくから見る惣士郎さんは思想家っていう感じがしますね。哲学者と思想家がいたときに、哲学者は自分の考えを醸成し真理に到達しようとする人で、思想家は人々はどう行く、どこに行くという思想を一人ひとりに伝える人という意味でですが。

惣士郎 1人の人間を深掘りすると、人類とはとかね、人間とはとかね、というふうにとるのと、結果が近しいところに行くかもしれないけど、あくまで個の探求という入り口、方向性から何かを世の中に伝えたり広げていく人と、人類共通のということを探求することによって1人の人生の何かを見出して行けるっている方向性があるとしたらね、僕はその点では思想家でしょうね。今の枠組みで言うとね。

鈴木惣士郎対談・インタビュー

中編へとつづく

次回は、「自分たち夫婦にとって世界一住みたい場所はどうやって見つけるのか?」をお届けします。

【中編】「自分たち夫婦にとって世界一住みたい場所はどうやって見つけるのか?」はこちら
【後編】「日本を超えて、世界でつながる自分だけのコミュニティをつくれ!」はこちら


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中村 あきら

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