あれから5年・・・資金ショートと会社崩壊から何を学んだかを振り返る

中村あきら:あれから5年・・・資金ショートと会社崩壊から何を学んだかを振り返る

最近、事業でまたスタッフやビジネスパートナーが増えてきた。
それに伴って、今後またアルバイトや社員が増えていきそうな流れがある。

そういう予兆を感じているところから、5年前の資金ショートからぼくの自分の失敗からぼくは何を学び、どう答えを出していったのか自分自身のためにも考えをまとめてみようと思う。



そもそも5年前資金ショートと会社解散と崩壊とは?

ぼくは20代後半で一度会社を拡大したことがある。
沖縄で社員を30名ほど雇い、家具通販を行う会社として大きくしていった。その時の会社経営の様子は動画でも残っている。

この頃は、「世界一のカスタマーサポートセンター」をつくるというビジョンのもと、アメリカのザッポスのような会社を目標に拡大していった。
しかし、ぼく自身が次第に完全に精神をやられ、自分の会社なのに会社に行きたくなくなってしまった。
ぼくが会社をほったらかしにしている間に、会社は資金ショートをしてしまい、来月の支払いができないという報告を当時の財務担当の人から受けた。

ぼくはその時に、会社を解散することにした。
全社員を集めて、資金ショートしたから解散すると伝えた。社員には連日集会を開いて説明して謝ったのを覚えている。

その後、オフィスをたたみ、取引先からも裁判で訴えられたり、銀行からの催促、社員からも家や実家に来られるなどストレスがマックスな状況へと追いやられた。

この辺りの詳しい経緯は、ぼくの著書「東京以外で、1人で年商1億円のネットビジネスをつくる方法」(朝日新聞出版)に詳しく書いてあるので興味があったら読んでほしい。

中村あきら著書「東京以外で、1人で年商1億のネットビジネスをつくる方法」

半年間ぐらいかけて、30名いた社員をぼく一人まで縮小して、やっと落ち着くことができた。
ぼくの11年の経営者人生で、この経験は今でも強烈に残っていて、今でも「あの時、どうすればよかったのか?何がダメだったのか?」と日々考えることは多い。

その後の5年間で様々な経営スタイルを試行錯誤してきた

この経験から、社員を雇うというのはもう本当にこりごりだった。
社員と経営者の考え方の違いや人種の違いに心底がっかりしたし、会社員と経営者では住む世界が違うなとも感じた。

だから、その後は少数精鋭のプロジェクトチームが主な仕事スタイルになった。
社員ではなく、経営者などと組んでビジネスをして、最低でも個人事業主やフリーランスの人と仕事をすること。そして長期的に一緒にやるというよりも、プロジェクトごとに依頼してプロジェクトが終わったら解散するというスタイルで仕事をすることが多かった。

ただ事業として結果が出なかったものがとても多かった。
特に以下の点で違うストレスをたくさん感じた。

仕事する人との関係性を厳しくした。舐められないように。

中村あきら長崎での次の1年は、人を長崎に呼び寄せて行こうと思う

仕事する人との関係性をとても厳しくした。
時に資金ショートの後の3年間などは、特に厳しくしたと思う。

これは資金ショートのとき、社員の人たちが謝罪を要求してきたり、実家や家までやってきたところを見たときにぼくははっきり言って社員に対して恨みを持った。確かに、ぼくの経営者としての未熟さから招いた結果だし、ぼくがしっかりと資金管理や足元をしっかりと固めていれば、資金ショートということにはならなかったと思う。

でも、それでもぼくはみんなを一緒に働く人を仲間だと思っていた。困難に一緒に「立ち向かう」ものだと思っていたんだ。
だけど彼らの在り方や行動を見たときにそうではなく、結果的にあの状況下において「一番の敵だった」と感じたことは確かだった。

それからは一緒に仕事をする人を必要以上に厳しく接した。
それはどことなく、彼らを仲間ではなく敵にしてしまったのは、自分のせいだと思っていたからというのもある。

ぼくが舐められたから、友人のように接したから、優しく接してしまったから、だと思ったからだ。
だから必要以上に厳しい経営者というイメージと冷徹な人間というものを膨張して表現していった。

しかし、このやり方が上手くいったかといえば、そうではない。
人が離れることも多かったし、一緒にやりたいという人も少なかった。あと何よりぼく自身もストレスを感じることが多かった。

事業も大きく伸びることもなかった。

ビジネスモデルをひたすら勉強し、シリコンバレーへ移住したり、先輩経営者と一緒に仕事したり・・・

資金ショートから、経営者としての未熟さをとても痛感した。
だから、もっと勉強が必要だと思った。
ビジネスモデルや収益性が高い企業の本を何百冊とも読んだし、世界最先端の街シリコンバレーにも移住した。

そこからの出会いや、学びから、自分が儲かる!と思うビジネスをたくさん着手した。
ただ、それらは前の家具通販のときのような情熱を持てず立ち上げては消えていった。

以前まではしなかったようなこともやってみた。結果を出している経営者に会いにいったり、一緒に仕事をしてみたりしたが、結局はストレスを感じて離れることもたくさんあった。

これらをたくさん挑戦してみても、刺激こそあれど事業が伸びていくというものはなかった。

今、改めてスタッフが増えていこうとしているときに何を学んだか?

あげまん理論セミナースタッフ

あれから5年様々なことを試してきて、やっと今自分のスタイルが出来つつある。
そして資金ショートの直後は、もう2度としたくないと思った社員を雇うことスタッフを雇っていくことをしてもいいかもしれない、というかこれ以上事業を伸ばすためには必要だ。というところまで来ることができた。

再度、自分のスタイルを見つけることができた中で自分にとって大切な学びとなっているのは以下だ。

ビジネスモデルよりも「情熱」。儲かるかよりも「自分が続けられるか」の方がはるかに大事

資金ショートの後、散々ビジネスモデルを勉強してきた。
だけど今、改めて自分が感じることは事業を選ぶときビジネスモデルよりも自分の情熱の方がはるかに大事だということだ。

今ぼくがやっているあげまん理論は、ビジネスモデルという視点でいうと、やっている意味が全く分からない。
でもぼくは「情熱」がある。あげまん理論を伝えることで、結婚したとか、自己肯定感が上がったとかというお客さんの感想がある。それらを聞くときに、「ぼくはその人の人生を変えた」と感じることができている。

それは何ものにも代えがたいもので、他のどのビジネスでも得られなかったものだ。
それを感じる限り、最初のうち儲からなくても、続けることができた。儲かると思って手を出したビジネスは、全く続かなかった。でも、このあげまん理論は続けることができた。

そうすると、不思議と今では売上も上がってきて、ビジネスパートナーは20名以上もの人が関わるようになっている。

どんな事業を選ぶかは、どんな人と関わりたいかがぼくにとってすごく大事

この5年の間に、様々なビジネスに手を出してきた。
そこで感じたことは、選ぶビジネスによって関わる人が大きく変わってくるということだ。

例えば、IT経営者としてやってた場合はIT系の人たちばかりとの時間が多くなる。BtoBのビジネスをやればBtoBで仕事をしている人たちとの時間がたくさん増えてくる。
この関わる人たちによって、ぼくはストレスを感じることが多かったり、事業をやめる理由にもなった。

あげまん理論®︎で出会う人たちを、ぼくは好きだ。お客さんもビジネスパートナーも。
成長したい女性たち、パートナーシップと向き合いたい女性たち。そしてその女性たちを支えたい、力になりたいと思うビジネスパートナーたち。それらの人たちに囲まれている自分はとても幸せなのだ。

つまり自分にとって、どんな事業を選ぶかは、どんな人と関わるかに大きく影響する。そしてその人たちといるのがストレスだったら、ぼくはその事業をやめてしまう。つまり「続かないビジネス」になってしまうのだ。

ぼくにとって、これはとても大事な指標になった。
どんなビジネスを選ぶかは、どんな人と関わりを持っていきたいかと同じだということだ。

「優しさ」と「甘さ」は違う。甘くはあってはいけないけど、「優しく」あっていい

資金ショート直後の数年は、とても厳しく人と接した。しかし、人は定着しなかった。
ただこの数年、ぼくはぼくのままビジネスパートナーたちと接することができている。

その理由は、甘さと優しさの違いを区別できるようになったと自分で思っている。

ぼくと一緒に働きたい多くの人たちは、ぼくの優しい雰囲気に惹かれてくれることが多い。
資金ショート後は、それを否定していたが、今ではそれこそ自分の長所だと感じている。

実際にぼくは優しい、優しすぎて繊細でいろいろ考え込んでしまうほどだ。
今はその優しさをビジネスパートナーたちと分かち合う事ができている。みんなぼくと仕事をすることを楽しんでくれてるのを自分でも実感するし、それを幸せだと感じている。

ぼくが得た答えは、甘さと優しさは違うということだ。
経営者として資金管理はしつつであれば(また失敗してしまうかもしれないけど笑)、ぼくはぼくらしく接する事が事業としてはプラスに働いていく。一緒に仕事をする人たちも楽しくやっていけるのだとわかった。

これからの組織は、何かの組織を真似するんじゃなくてぼくらしい組織をつくってく

家具通販のとき、ぼくはアメリカの会社に憧れたり、ザッポスなどの会社を作りたかった。
だからそれと同じようなやり方や組織をそのままつくろうとした。

その結果、いざ自分がそのモデルの会社のような組織を経営してみると、大きなストレスを感じた。その組織の在り方が自分には合ってなかった。「憧れ」と「自分に合っているもの」は違うという事だ。

今度、つくる組織は、世界中でどこにもないぼく仕様の組織にしていきたいと思っている。
それはこういうもの!ってあるわけではない。だって他にはないから。

でも、経営者を11年やってきて一緒に働く人との距離感は掴めてきた。

社員やスタッフといえど、これだけは守っていきたい。

・スタッフの家族の事情などプライベートなことを知りたくない(気を使う、合理的な判断ができなくなる)
・オフィスを作ったとしても、ぼくはそこにはいたくない(働く人の「あ、社長だ」的な視線がいや)
・スタッフの誕生日とか結婚式とか祝いたくない(時間とられる)
・ぼくの生活圏内では会いたくない(寝ぐせ、ヨレヨレTシャツ姿を見られるのが気になる、あと散歩中考えごとしたりコンビニ周りをするのを邪魔されたくない)

こういう距離感をぼくの組織の人とつくっていけるのであれば、ぼくは自分の会社から離れたくなることはないだろう。と正直、スタッフと会うのは年に1回ぐらいでいい。
あとはチャットで仕事はやりとりできればそれで大丈夫なのだ。

正直、これを書いていてぼくはいわゆる良い経営者ではないし、作ろうとしているのは人が憧れるような組織ではないと思える。
でも、これがぼくらしい組織なんだと思う。社長であるぼくが一緒に働く人たちとストレスを感じないというのが一番大事なことだって会社崩壊の時に学んだ最大の教訓だ。

人が憧れるような会社じゃなくていい、人が憧れるような社長じゃなくていい、人が憧れるような事業じゃなくていい、でも経営者であるぼくが一番幸せな会社をつくっていきたい。それが結局は働く人たちが幸せになっていくことだって今では確信している。

それがこの5年間で一番学んだことだね。

これからどんな組織になっていくか、また色んな人を巻き込んでいきたいと思ってるよ。
こんなぼくだけど、ぼくと関わってくれてる人たちをぼくは愛してる。

 

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